明成皇后の生家
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明成皇后の生家
紹介
朝鮮第26代の高宗皇帝の妃であり、開化期に優れた外交力で自主性を守りつつも開放と改革を推進する中、1895年10月8日
未明、日本人によって弑害され波乱万丈な一生を終えざるを得なかった明成皇后が出生して8歳まで居住していた家屋だ。16
87年(粛宗13年)、王の義父となる閔維重の墓幕として建立された。当時の建物として残っているのはアンチェ(母屋)のみであっ
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たが、1995年に行廊と客間、離れ屋などが復元され、面貌が一変した。明成皇后の幼い頃、勉強されたという部屋があった所
には、誕生を記念して建てた「明成皇后誕降旧里(誕降舊里)」(明成皇后が生まれた昔の村)と刻まれた碑が建てられている。
生家の前には記念館が建立され、各種の資料・遺品などが展示されている。161席規模の公演場(文芸舘)では明成皇后に関
する映像が上映されている。
明成皇后記念館
明成皇后生家の向こうに位置した明成皇后記念館は、歪曲された歴史を正しく建て直し、正しい歴史観を確立するために建て られた。520㎡の展示室は明成皇后と高宗の影幀などを含めた関連資料が展示されており、季節ごとに変化する自然景観とよ く調和をなし、春・秋に多くの観光客が訪れている。記念館の周辺に広い駐車場と公衆トイレ、池などを設置し、観覧客の便宜 を図っている。
甘苦堂の改築
仁顕王后の私邸であり、明成皇后が8歳の時に引越して王妃として選ばれる前まで過ごしていた場所であり、英祖が甘苦堂と 名付けた。最初はソウルの安国洞にあったが、1966年に双門洞に移転、2004年に驪州市で引き受け、2008年度に改築を完了 した。
利用案内
- 所在地 驪州市 明成路 71
- お問い合わせ +82-31-881-9730~3
- ホームページ 驪州世宗文化財団